2025年9月12日の糸井さん

2025年09月17日

森羅万象とはほとんど他者である。
糸井重里

いままでにあった歌、いまできている歌、もちろん、ほとんどの歌をぼくは知らない。
だれかがつくって歌っている歌がたくさんある。

同じように、いままでにあったマンガ、 当然、ぼくはほとんどのマンガを読んでない。
だれかが描いたマンガが無数にある。
特に日本にはとんでもない質量のマンガがある。
だれかたちがつくった映画、これまでに合った映画、いまつくっている映画、ぼくはほとんど観てない。
世界中にたいへんな数の映画が存在している。

歌だとか、マンガだとか、映画だとかで言ったら、なんだかわかりそうな気もするけれど、あらゆるものは、だれかさんがつくっている。
有名な橋も、歴史的な建築も、名付けられてもいない橋も、ただの家も、どれもみんなだれかや、だれかたちがつくっている。
そして、それは、つまり、ほとんどすべてのものを、ぼくは知らないし、それをぼくはつくってない。

世界は、ぼくじゃない人たちのつくったもので、あふれているし、ぼくはそのことさえ知らない。
知らないことさえ知らないでいるうちにも、世界はぼくじゃない人たちがつくっている。

いやいや、人がつくっているものばかりでなく、もともと自然がつくっているもののほうが多い。
山も海も空も大地も月も星もゴミムシも、人がつくったものでなく、そこにある。

じぶんの主観のなかにすべてがあるのだけれど、ほんとは、じぶんなどいなくても、すべてがある。
じぶん以外のすべては、じぶんの主観の外にある。
だから、つまりだ、その、安心していいぞ、と。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
なにをいまさら思ったのだろう、思うままに書いてみたよ。

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