2025年8月17日の糸井さん

2025年09月17日

『脳の中のご町内の張り紙について』 糸井重里

かつて、職業としてことばを扱っていたときには、「そのことばがいいのか、そうでもないのか」を、ほんとうに知る必要があったので、それを判断するまでにけっこう時間がかかった。
ある短いことば(広告のコピーがほとんど)が生まれたら、「それがいいのか、それでいいのか」を知るために、最長では数ヶ月も時間をかけて考えていた。

これを、「脳のなかの町にそのコピーを張り出しておく」というふうに表現していた。
じぶんの脳のなかには、ご町内があって人が暮らしている。
みんなが通りがかるようなところに、張り紙をするわけだ。
すると、長い時間のなかでちょっとずつ、「なにを言ってるのかわからないよ」であるとか、「え、そんな張り紙あったの?」だとか、「気取ったことを言ってますなぁ」なんてことを脳内の通行人の方々がぽつんぽつんともらしてくれる。
いや、ときには「おいっ、最高だよ!」だってあるさ。

もちろん、これは比喩である、イメージというものだ。
脳のなかにほんとうに町があるわけではないが、あると考える、そういうものを脳内に設営するのである。
仕事として「コピー」を考えて、できたその数文字を、じいっと見つめていても、それがいいかわるいかなんて、なかなかわからない。
いかにも理屈っぽく、あるいは乱暴を装って、削ったり足したりの手を入れていくことになるだけだ。
それより、もっと広いイメージのなかにことばを置くのだ。
町だったり、塀だったり、張り紙だったりは、ふだんのじぶんの時間のなかでほとんど忘れている景色だ。
そのイメージのなかに、「ことば」を置いておく。
答えは、思ったように出るものじゃないから、ときどき、これまたイメージの人間を登場させて、反応や感想に注目してみるのだ。
知っているあの人この人に出てもらっても、もちろんいい。

…こういう手間と時間のかけ方を、しばらく忘れていたが、今年は、ちょっと意識的にやってみたりもしている。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ことばの生み出し方にも、ファストとスローがあるんだよね。

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