2025年9月12日の糸井さん
いままでにあった歌、いまできている歌、もちろん、ほとんどの歌をぼくは知らない。
だれかがつくって歌っている歌がたくさんある。
いままでにあった歌、いまできている歌、もちろん、ほとんどの歌をぼくは知らない。
だれかがつくって歌っている歌がたくさんある。
ぼくは、戦後の豊かでない時代に生まれた人間なので、いろんな「たのしみ」の商品もそろってなかったし、たとえそういうものがあったとしても、思うように買えるような生活をしてなかった。
思いつくままに、ぶつぶつ言ってみようかな。
「張り合いがある」ということばがありますよね。
みんながほしがってるのは、この「張り合い」じゃないか。
「やりがいがある」とか「意欲が湧く」とかに近いのかな。
毎日、生きていて、「張り合いがある」って最高ですよね。
いろんなケースがあるんだろうけれど、ま、仮にさ、「植えたとうもろこしが育っていて、もうちょっとで食べられると思うと、水やりにも張り合いがあるんだよね」なんての、いいな。
だれにも知られなくてもいい、と思っていたことに、ふっと「いつもありがとう」なんて言われたりとかもいい。
仕事なんて、だいたいはこの「張り合いがある」を味わいたくてやってるのかもしれないね。
かつて、職業としてことばを扱っていたときには、「そのことばがいいのか、そうでもないのか」を、ほんとうに知る必要があったので、それを判断するまでにけっこう時間がかかった。
ある短いことば(広告のコピーがほとんど)が生まれたら、「それがいいのか、それでいいのか」を知るために、最長では数ヶ月も時間をかけて考えていた。
「気が利いてる」人っていますよね。
そういう人に、ぼくは憧れているかもしれない。
なんかさぁ、かっこいいじゃないですか。
北海道も、東北も、近畿も、九州も。だいたい どこも ゆうりくんと行きました。
「行きたいけど、行けてない街」って、あんまり無いんだよね。
お盆シーズンの飛行機は結構高い、ということで、ほぼ消去法的に行くことになった滋賀と福井。
「ゆうりしんぶん」というのは名ばかりで ゆうりくんのことより、「おとうさんはこう思う」みたいな内容ばかりでした。ゆうりくんが書かないと、ほんとうの ゆうりしんぶん にはならないんですよね。
そんなことを素直にみとめて、EMANOTE に切り替えます。
ゆうりくんが ポップでキャッチーだったので かなりパワーダウンしますが、ときどき「ゆうりくんネタ」も使わせてもらいつつ、誰に向けて書くのか わからないまま、EMANOTE はじめます。
2018年の1月に書き始めた ゆうりしんぶん。
保育園の先生が本当に素敵な方で、おかげで 創刊当時のゆうりくんは人生をとてもたのしんでいました。
保育園はゆうりくんにとってのオン。ゆうりくんのオフの様子(つまり家での様子)を先生にお伝えしたくて、書き始めたのが「ゆうりしんぶん」でした。
その後、誰に向けて書いているのか わからないまま 続けてきた ゆうりしんぶん。
ゆうりしんぶんを書くのが たのしくてしかたないときもありましたが、そろそろ終え時です。